未来のマチの夏祭り
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Screenshot Screenshot Screenshot Screenshot Screenshot Screenshot Screenshot Screenshot Screenshot 未来のマチの夏祭り@おおるり富塚 ※8月23日は日曜日ですね💦 画像間違ってます。 今年もおおるり富塚では、7月21日から8月22日まで児童預かり事業「介護TERAKOYA」を開催致します。 いつもいろいろな方が行き交う施設ですが、この夏はさらに賑やかくなりそうです。 8月23日(日)には、皆さんが自由に参加できるような夏祭りを企画しています。 ただ、よくある夏祭りでは、私達にとって物足りない 今回は2050年を想定した夏祭りができたらなーとまずは、ストーリーを作ってみました。 まだ構想の段階ですが、未来マチプロジェクトの夏祭りらしく、テクノロジーではなく、【役割や関係性】の観点で、2050年の街を想定したプロトタイプのような夏祭りが体現できたら面白いなと考えています。 TERAKOYAの時間、未来の街を想定した学び、学生と子供達とお年寄りと一緒にする準備、その過程にも意味があると思っています。 ーーーーーーーーーーーーー 【ストーリー】 ― 未来の街の夏祭り ―2050年、夏。高齢化率はかつてない水準に達し、地域は静かに、その形を変えていた。長い間、街を支えてきた自治会は、役割としての意味を失い、その役目を終えた。 自治会機能の消滅により、人と人のつながりは薄れ「この街で生きる理由」は、少しずつ消えていった。残ったのは、利便性と経済性。似たような風景が並び、どこにいても変わらない日常が広がっていた。 高齢者が増え、外国人が増え、多様性は広がったはずなのに、関係は生まれない。支える人は足りず、地域で税も回らず、インフラは静かに弱っていく。 人は、中心へと流れていった。街は、誰かが“選ぶ場所”になり、誰もが“関わる場所”ではなくなっていった。 そんな時代の中で──ひとつ、違う街があった。 そこには、未来マチプロジェクトを継続してきた地域。この街の中心には介護施設がある。 かつて「支えられる側」とされてきた場所が、いつの間にか、街の真ん中になっていた。 そこには、いつも人がいる。高齢者も、子どもも、障害のある人も、ない人も、国籍も、立場も関係なく、特別な存在としてではなく、“当たり前の風景”として。 誰かのために何かをする、のではない。けれど、誰かが困っていれば、そっと手が差し出される。気づけば支え合っている。 関わるかどうかは、自由。けれど、関わりたいと思った瞬間に、自然とこの街の一部になる。 そんな街に、夏が来る。 この街では、毎年変わらず夏祭りが開催されている。誰が始めたのかも誰にもわからない。けれど、気づけば皆が関わっている。屋台をつくる人。音を鳴らす人。ただ、座って見ている人。そのすべてが、この街の一部になっている。 そして、この夏祭りには、毎年恒例の行事がある。 それがみんなでつくる演劇会。舞台に立つのは、特別な誰かではない。子どもも、若者も、高齢者も、障害のある人も、ない人も、“やってみたい”と思った人たち。 言葉が詰まる。間違える。立ち止まる。そのたびに、笑いが起きる。 思いがけない一言に、ふっと涙がこぼれることもある。 観ている人も、いつの間にか、この物語の中にいる。 これは、演劇ではない。 この街そのものが、語っている時間。 笑いと、涙と、見守り合う空気が、ゆっくりと広がっていく。 それが、この街の日常であり、この街の「あり方」。 未来町プロジェクトが目指したのは、特別な成功ではない。 こうした風景が、どこにでもある「当たり前」になること。 未来は、どこかにあるものではなく、誰かがつくるものでもない。 こうして、少しずつ、関係の中から立ち上がっていく。 2026年、未来のマチの夏祭りは、その未来を、ほんの一日、先取りする 小さな社会の実験である。