豊かな時代の「高齢者の豊かな暮らし」を考える
こんばんは、バイスティックケアサービスの塚本です。
目の前の事で精一杯になると大切なことを見失ってしまいそうになることがあります。
私たちが提供している「高齢者の住まい」
そこでの高齢者にとっての「豊かさ」とはなにか
目の前の状況がどうであろうと、
わたしはそれを考え続けなければなりません。
かつては、医療サービスは国民が均等に受けることができなかった。
社会保障ができて、医療の提供が制度化され、国民が均一に医療のサービスを受けられるような時代になった。
次に、医療の提供によって処置は受けられるけれど、身体機能の低下により、入浴や排泄などの介護ニーズが必要されるようになった。
そして、介護保険制度ができ、医療と同じように介護サービスが国民に満たされるようになった。
過去を辿ると、時代とともに高齢者の環境は豊かになってることがよくわかる。
そんな時代、高齢者の生活において今後に求められる「更なる豊かさ」とは、
特に私たちの「介護サービス」「生活支援サービス」について求められるものは何なのだろうか。
高齢者の生活において、実際に、介護スタッフによるケアを受けている時間はほんの一部にすぎない。
訪問介護で考えてみれば、1日のうち、私たちが対面できるのはせいぜい数十分から数時間程度ではないだろうか。
現在の介護は生活においてのリスクを大幅にヘッジできる。
生活するのに最低限に必要な身体的な介助、生活の援助を提供し、
マイナス分を補うことができる。
しかし、プラスにはならない。
介護保険で介護を受けられるから安心ではあるが、それだけで幸せとは限らない。
安心の提供だけでは、「高齢者の豊かさ」には足りないのだと思う。
わたしの考える「高齢者の豊かさ」とは、高齢者が「自分らしく」そして「社会参加」しながら生活を送ること。
買い物や映画にいったり、友人たちと話したり、お茶したり、おいしいものを食べたり。
仕事をしたり、だれかの役に立つことをしたり、趣味を披露して人を楽しませたり。
皆、ずっと当たり前に社会に参加しながら生活をしてきたのだから、
要介護になっても社会の一員として「自分のために、そして誰かのために時間を使うこと」
が大切だと思うのです。
医療はその人の病気を見て治療を行う。
介護や生活支援はその人の生活の全体をみる。
その中でも見守りや身体的なケアのみであれば、これからは機械で足りるのかもしれない。
私たち、人が提供するこれからの介護や生活支援は、生活の中でも「豊さ」を考えていくべきだと思う。
社会に対する貢献感や自己肯定感を与えることは、介護や生活支援の力であると思います。
われわれは医療のような治療はできないけれど
社会の中で医療にできない、
とても大切な役割を担っていると思っています。
医療職と介護職の違い、
私たちのサービスは治療の延長ではない、単なるお世話でもない、
私たちが働く先にあるもの、
社会的な役割、
大切なことについて常に考え、見失わないよう日々過ごしていきたいと思います。
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